岩木山と青森観光(後編)
ここからは3日目。予定では八甲田山に登って、時間があれば十三湖の向こうにある靄山にもチャレンジしたいけど・・・。はてさて、どんな一日が待っているのでしょうか?
トレッキングデータ
2014年08月13日(水)〜15日(金) | |
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コース | (スタート)岩木山神社駐車場~桜林公園〜焼止りヒュッテ〜鳳鳴ヒュッテ〜岩木山~鳥海山〜八合目駐車場〜嶽温泉登山口〜岩木山神社駐車場(ゴール) |
山 名 | 岩木山(1,624.7m),鳥海山(1,502m) |
累積標高 | (+)1,806m |
歩行距離 | 21.667km |
所用時間 | 9時間19分 |
トレッキング(三日目)
朝食は前日コンビニで買っていたハンバーガーとミルクティ。どうてもいいけど、まともな食事を摂ってないな・・・。
先程から雨粒がテントを叩く音が聞こえる。外を見なくて雨が降っているのが分かる。
とりあえず、山の格好に着替えて、レインウェアを着てテント撤収。まだ雨もそれほどではなく、なんとか山には登れそうだと判断してとりあえず八甲田山の登山口にあたる酸ヶ湯温泉に向かう。ザックリ予定だと八甲田山を下山後酸ヶ湯温泉に入って、十三湖に向かう。
酸ヶ湯温泉到着。この時間ですでに下の段の駐車場も一杯になっていた。雨も強くなって、登山どころじゃない。もちろん誰も入山する気配は無い。今日の登山は中止! 青森観光に変更決定! とりあえず十三湖方向に向かう。
途中、何度か来たことのある雪中行軍の慰霊碑に寄る。山をやっている人なら新田次郎の八甲田山死の彷徨という小説で知っていると思うけど、まさにここがその現場。
さすがにこの時間じゃ、資料館はやっていない。
・・・自分も入ってみた。実際にはあの高さまで雪があって、ここから青森方向に少し下った所で、胸まで埋まって立ったまま意識を失っていたらしい。救助隊の懸命の介護によって意識を回復し、それによって遭難の事実が明らかになったということ。興味のある人は新田次郎の小説やそれを原作とした映画もあるので観てみることをオススメします。タイミングよく9月6日にはBSでも映画を放送するようだけど・・・。
実は昨日岩木山から酸ヶ湯温泉に向かう途中で、「田んぼアート会場はこちら」という看板を見つけていた。そう言えば何度かニュースで見たことがある、なるほどあれはここだったのか! と寄ってみる。さすがに下からじゃ何が書いてあるか分からない。
おみやでで売っているレプリカ(細部はそれほど精巧ではない)。中学生の頃からずっと欲しかったけどやっとゲット出来た。大きさは大中小があったけど、これは中サイズ。大は原寸サイズだけど、意外にデカくて置く場所が無いのでパス。
遮光器土偶が発見された所はちょっとした丘のようになっているけど、前は地平線が見えそうなほどまっ平ら。縄文時代はこの辺りはもう少し暖かったようだから、ずっと森や林が広がっていたのだろうか?
次は自分が生まれた場所を目指すよ〜。
子供の頃遊んだ川。昔は護岸工事がされていなかったので、もっと田舎の小川だった。写真の上部辺りで50cmクラスの鯉を釣ったことがあった。淡水魚としては未だにこれ以上大きな魚を釣ったことはない。
十三湖名物、しじみラーメン。以前来た時は近くでドライブインをやっている親戚の所で食べた。その時はしじみの大きさにビックリしたけど、今はしじみの小ささにビックリ。身を食べるのも一苦労・・・。
誰もいない山王坊遺跡に入ります。ちょっと背筋が伸びる気分。自分が生まれた所の近くにこのようなものがあるのを知ったのはずいぶんと後のこと。祖父は福島城跡の近くに山を持っていたので、小学校の頃に父親がそこを掘れば昔の遺物が出てくるかも、って言っていたのを思い出した。
以前は小学校だったらしい。この脇に車は駐められる。
実はここに来る前にひとつの結論を出していた。予定ではもう一泊するつもりだったけど、予定を12時間早めて帰路につくことにした。さすがに8月16日の昼間に東北道を東京に向かうのは自殺行為だよな・・・。だったら、今日(15日)の夜に途中途中で仮眠を取りながら夜中に進んだほうが渋滞のリスクが減るよな〜。ということで、もう少し観光した後に帰ることにした。もう、13時間半とか運転は嫌だ!
「浜の明神遺跡」。こんな所があるのは初めて知った・・・。
ちょうど入ろうとした時一人の老人(80歳と言っていた)が下りてきた。その方に色々お話しを聞いた。けど、理解できたのは80%くらい。さすがに普通の関東人よりは青森弁(正確にはその人は八戸と三沢の中間辺りから来ているといっていたので南部弁か?)に慣れているとはいえ、ネイティブで話されると全ては聞き取れない。
十三湖を後にして、今度は五所川原。五所川原と言えば昨今「立佞武多(たちねぶた)」が有名。子供の頃は五所川原の立佞武多なんて聞いたことは無いぞ! って思ったけど、それもそのはず、明治時代辺りまではあったらしいけど、そのあとずっと廃れていたらしい。有志の方々の努力で1998年に復活したとのことなので子供の頃に知らなくて当たり前だ・・・。
!!!!!!!!!!!!!!
そう言えば吉幾三はとなりの金木町の出身だ。「俺ら東京さ行ぐだ」の時にみんなすげー田舎だと笑っていたけど、自分が生まれた所から見れば、金木町は都会だった・・・。
そんなこんなで、慌ただしい青森旅行は終了。結局計画が欲張りすぎたためにゆっくりする暇も、美味しい食事も無く、でも、いままで行きたくても行けなかった場所にも行けたし、それなりに満足の3日(足掛け4日)でした。
八甲田山と靄山に登れなかったのは残念だけど、青森は自分の田舎なので、これからも何度も行くことになるので、それほど残念でもないのが正直なところ、逆に登れなかったお陰で次に青森に行く理由が出来た、って思っている。これが九州とかの山だったら豪雨でも登っていたかも・・・。
ちなみに帰りの東北道は夜中なのに断続的に渋滞が続いて、何度かの休憩を入れて12時間も掛かってしまった・・・。