ずっと気になっていた毛無山・湯之奥金山遺跡(中山金山・内山金山・茅小屋金山)へ
さて、訳あって数年前にこの山域で半年ほどお仕事をする機会を得て、ほぼ毎日のように毛無山の西側を歩きまわっていました。そのおかげで、今回のような一見無謀にも思えるようなルートを辿ることが出来ました。なので、一般の人が近づくことはかなり難しいと思われます。では、なぜそんな難しいコースを選んだかと言うと、一昨年の春にある確かな情報で・・・あっ、その前にこの山域には金山遺跡があることを説明しておかなければなりませんね。
毛無山の西側(山梨県側)には日本でも初期の頃の金の採掘跡があります。それがタイトルにもある「湯之奥金山遺跡」と呼ばれるものです。この遺跡は中山金山遺跡、内山金山遺跡、茅小屋金山遺跡という3つの遺跡を総称してそう呼ばれています。中山金山遺跡は山梨県側にある下部温泉の奥から毛無山へと登るルートの途中にあるので、このルートを通ったことがある方は一度は耳にしたことがあると思います。茅小屋金山遺跡もまた下部温泉の奥にある沢沿いを遡上すれば(以前なら)30分ほどで到着出来るので、(以前なら)比較的簡単に行けていました。そして、一番奥まったところにあるのが内山金山遺跡で、関係者以外はその場所を知っているという人はほとんどいなく、登山道からもバリエーションルートからも遠く離れているために訪れる人も皆無だと思われます。
と、ここで話を戻します。・・・確かな情報で、数年前の台風で茅小屋金山遺跡がかなりのダメージをうけてしまったということを聞きました。前述で(以前なら)と書いているのはその台風以前ならと言う意味です。なので現在、茅小屋金山遺跡に行くのは以前より少し難易度が上がっています。と、また話しが逸れましたが、つまり、茅小屋金山遺跡がダメージを受けたということはもしかしたら内山金山遺跡も何らかの影響を受けたのではないかということで、今回はその確認が最大の目的でした。内山金山遺跡に関してはその後の情報が入ってこなかったのでずっと気にはなっていたんですが、ルートがルートだけに、半年間歩き慣れた場所だとはいえ、そう簡単に行ける場所では無いので、ズルズルと先延ばしになって、結局今回やっと行ってきました。
んで、結果は・・・これは本文内で詳しく説明していきたいと思います。
トレッキングデータ
2013年09月22日(日) | |
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コース | (スタート)湯之奥猪之頭林道ゲート前~茅小屋金山遺跡~内山金山遺跡~毛無山~地蔵峠~中山金山遺跡~湯之奥猪之頭林道ゲート前(ゴール) |
山 名 | 毛無山(1,946m) |
累積標高 | (+)1,166m |
歩行距離 | 16.478km |
所用時間 | 7時間57分 |
トレッキング
3時30分に起床するつもりが、実際に起きたのは5時・・・。最近立て続けに寝坊している。疲れているのか? 俺?
まぁ、遅れたものはしようがない。6時に到着する予定が7時半になり、やっとスタート出来る。車は湯之奥村の奥にある林道ゲートの脇に駐める。
・・・入ノ沢を渡る。じつはこの橋が残っているかチョット心配だった。ダムが完成したら壊されると思っていたけど、残したようですね。よかった・・・。もし、この橋が壊されていたら上の写真の分岐を直進してもう少し上流で渡渉しなくてはならなかったけど、数日前の台風の影響で水嵩が増えているので、それは不可能だと思う。つまり、早々にここでリタイアしなくてはならない。今回の山行は色々な意味で想定しているルートを辿るのが不可能な場合は、無理をせず引き返すということを心に決めていた。
さて、ここからが本格的な登山道になる。さすがにココからは目をつぶっていても歩ける(喩え話です、本当に目をつぶって歩いたらコケてしまう)くらい何度も行き来した道だけど、取り付きの部分が微妙に違っていたので慎重に進む。
と同時に熊鈴もセットする。この山域では熊がいます。調査中も2度目撃されているので、気は抜けません。
何だこれ? この後も点々とルート上に続いていました。
ここで気になるのは例のおじさんが住んでいた岩室ですが、ずっと気をつけて歩いていたのですが、この辺りだということは分かったんですが、今はすっかり流されていました。場所にもよりますが、我々が通っていた場所と実際に沢の流れいる場所の間にあった川原は全て水に浸かったようです。景色は一変していました。
あの崩落地跡です。我々はあの後はここを直進しないで、一段下の石碑があるところを迂回していましたが、今は、まっすぐにしっかりとした踏み跡がありました。あの後かなりの人の行き来があったんだと思います。
「宮屋敷跡」と呼ばれていた場所ももはや見る影もありません。というか場所を特定するのも難しいくらいです。かろうじて樹木の位置でこの辺にあったな、というくらいです。山の神も「宮屋敷跡」と書かれた板切れも見当たりません。
しばらく辺りをウロウロしましたが、ジブンの記憶と一致する場所はほとんどありませんでした。
いつまでもここにいるわけにもいかないので、次は最深部にある内山金山遺跡に向かいます。この調子では無事にたどり着けるのか不安ですが、行けることろまでは行ってみましょう。
我々が渡渉していた場所です。覚えていますか? 景色は全く変わっていますが、向こう岸の取り付き点の位置からココなのは間違いありません。じつはここも以前のままだったら水量が多くて渡るのは困難だったかもしれませんが、今は上流から大岩が流れてきたおかげで、逆に渡りやすくなっています。
上の写真の所で振り向いたところです。この木が沢側に倒れるのは時間の問題だと思いますが問題はそこじゃなくて、以前雨の日に上に置いてあった荷物を移動するため、ここにザックをデポして行ったのを覚えていますか? その時大岩があってそこの雨が当たらない所にデポしたと思いますが、その大岩がゴッソリ無くなっています。あの大岩が流される水の力って・・・スゴイ・・・。
水平道が終わって、ガラガラした小さい尾根を超える所にあった小さな沢が大崩落して、山肌に鋭いV字の谷を作っていました。今でもいつ崩れてもおかしくないような雰囲気だったので足早に通り過ぎます。わかりやすく言うと富士山の大沢崩れを渡っている感じです。もちろん縁までは行ったことはありますが、渡ったことはありませんが・・・。
内山の大ガレを見上げています。衝撃的な光景でした。以前はこのU字の谷に沢山の岩が堆積していましたが、今はそれらが全て流されてしまったようです。谷の深さは4〜5メートルくらいはありそうです。当然、この付近にあったヤシャブシもキレイに無くなっています。ちなみに、下に以前撮った写真を貼り付けておきます。
さて、この尾根に取り付きますが、以前と違い高さがあるので、慎重に登ります。基本的には三点支持で斜面に取り付きますが、まだ岩はもろく、ちょっと触っただけで簡単に落ちてしまいます。つかむ岩と足をかける岩を慎重に選んでよじ登ります。
・・・谷越え・・・。もう、ちょっとやそっとでは驚きません。ここは先ほどの大ガレを見てある程度は想像できていました。ここもやっぱり谷の底に貯まっていた岩は流されています。例の山椒もすっかり無くなっています。百歩譲って谷の底に降りられても、向こう岸で登るのは不可能です。少し下流からなら取り付けそうですが、向こうの尾根を下から登るのは相当骨が折れる事だと思います。
ここは気を取り直して、後半に使っていた上流コースに行ってみることにしました。もし、ここもダメだったら引き返す、つもりで再び斜面を登ります。
左に進むと数メートル先で崩れていて先に進むことは出来ません。昔はずっと先まで繋がっていたと思われます。一度調査で下から大回りしてこの先に道があるか確認しに行ったことがありますが、案の定この先にも道は続いていました。しかし、数十メートル進んだ所で再び通れなくなっています。そこから先はまだ行っていません。気になりますね・・・。
・・・すぐに雨裂に行き先を阻まれてしまいます。ここも昔は普通に通れたんだと思いますが、水の侵食で谷が出来ています。ここは危険なのでトラロープを張っています。でも、上から落ちてきた倒木が引っかっかってロープがつかみにくいです。それでも、おっかなびっくり谷に降りて(ここに降りる時は一枚岩の斜面なので足を滑らせたら下の方まで落ちてしまいます)再び登り返します。
一部道は斜面の上からの崩落物で道が埋まっています。ザレた斜面を慎重にトラバースします。万が一落ちたら登り返すのは足元が崩れるので相当大変です。でも積極的に下りに使う場合は富士山の砂走りのように下れるのでちょっと楽です。調査前半では先ほど登ってきた細尾根を下っていましたが、後半はここから一気に下っていました。しかし、今は細尾根の隣に深い谷が出来ているので、ここを下るのは無謀だと思います。それに、いくつかの谷を超えるので、現状が分からない限りはココからは下れませんね・・・。
尾根に乗れた。あとはひたすら急登をよじ登ります。同じ急登でも先週行った北アルプスの重太郎新道は整備されていたけど、こっちは整備なんかしていないし、しばらくは人も歩いていないような所なので、足元は不安定です。
そして、ここが旧Gテラス、我々がベースとして使用していたところです。ここで何度昼食を食べたことでしょう・・・。あの日の記憶が蘇ります。というか、あれから数年経っているのに何も変わっていないように見えます。記憶の景色とバッチリ一致しました。さすがにここは台風の影響は受けていないようですね。
中央にあるアセビの木にぶら下げた熊鈴・・・。これはここよりずーっと西側にある大ガレの近くで見つけました。平成の頭にあった調査時に落とされたものでしょうか? それとももっと上の稜線から落ちてきたのか? とにかく普通に人が歩けないような場所で見つけました。
ここに立っているとなんか変な気分になってきます。茅小屋金山遺跡や大ガレはあれほど変わっているのに、ここは何も変わっていません。まるで時間が止まってしまったようです。
いつまでも感傷に浸っているわけにもいきません。以前ならば、林道からここまでは休憩なしで1時間10分程で到着していましたが、今日は2時間半もかかっています。まぁ、写真を撮ったり、コースの変更を余儀なくされていたので仕方ないと言えば仕方ないですが、時間がかかりすぎですね。さぁ、次は水場へ向かいます。
結局ここから先はずっと左岸側を進みことになりますが、ハッキリ言ってこのコース、坑道1を発見した時に下りで使ったことはありますが、登りでは使ったことはありません。それに、その時と少し変わっているので果たして登れるのでしょうか???
写真で見ると楽に歩けそうなんだけどな〜。でも、実際はここは進めないので左岸側の崖を登ります。
1ヶ所、倒木と崩れでオーバーハング気味な所を手足を突っ張って何とか乗り切り、上にあがってきました。ここは登れたけど下れません。ということはここから先は何が何でも先に進むしかなくなりました。この先何が待っているか分かりませんが、急に不安感が全身にまとわりつき始めました。
大滝が見えてきました。対岸を見ると自分たちが張ったトラロープが見えます。本当ならばここはまだ右岸側を通っているはずなのに・・・。急な斜面、不安定な足場、沢の左岸側は切り立った岩場で、いまはその上部をトラバースしています。もし、足を滑らせれば、沢の中の大岩に全身を叩きつけられて・・・、とにかく慎重に進みます。
知らず知らずに大声で「潮騒のメモリー」を歌っていました。もちろん普段はそんなことはしていません、というか、初めてですが、そうしていないと気が狂いそうになっています。
・・・目の前の光景を見てボー然としてしまいました。ここで初めて遭難、救助要請という言葉が頭を過ります。
あまりにも以前と変わってしまっています。ここはいくつかの沢が集まっている場所ですが、以前は堆積物が多く、あまり大きな凸凹はありませんでしたが、その堆積物が流されてしまったようで、深い谷が幾筋もできていました。坑道2への雨裂もすっかり流されてしまい。歩きやすくなった反面・・・
・・・坑道2の穴があんなに高いところに・・・。よじ登れないこともないですが、そのままでは出入りはほぼ不可能です。上からザイルでも垂らしてきちんと自己ビレイして登らなければ、洒落にならないことになります。以前ならば穴の周りはザラザラの砂みたいでしたが、いまは落ちたら岩です。当たりどころが悪ければそこが終焉の場となります。ハッキリ言ってヘルメットを持ってこなかったことを後悔しました。
ここからは想定していたルートはたどれません。少し迂回してなんとかならないかとウロウロしましたが、どう考えても無理そうです。地形図はあるていどは頭に入っているので、この先の別ルートを考えます。と同時にGPSで毛無山から伸びる稜線の距離と方向を確認する。この時は毛無山への登頂は考えていませんでした。とりあえず、稜線まで登れればバリエーションルートがあるのでなんとかなるだろうと考えました。
いくつかのルート候補の中から自分が選んだのは、坑道2の上部にある稜線に向かうことにしました。ある程度までは調査で歩いているので、稜線までは出れるだろうと思いました。
とりあえずは高い所に向かって登ってきます。万が一を考えて谷部は避けて登りにくくても尾根部を歩きます。そもそも真っ直ぐ歩くとは想定していません。何度も立ち止まって地形を観察して少しでも楽に歩けそうなところを選んで進みます。
ん? 道に出た。もちろん地図に出ているような登山道じゃないです。初めは林業のための道かと思いましたが、それにしては広くて歩きやすいです。しばらくはその道沿いに進みます。ほぼ等高線に沿って通っているようです。ここでふと、毛無山の北西に伸びる吊尾根の少し下にもこのような道が続いていることを思い出しました。恐らくその道に繋がっているんだと思います。いつかその道がどこに繋がっているか調査したかったんですが、結局期間終了でモヤモヤが残ってしまいました。もし、その道に繋がっているのなら相当な長さがあることになります。その一端は中山金山遺跡の採鉱域の方向に伸びているのも気になるところです。
・・・やっと稜線上にある正規な登山道に出た! ちょうどそこを通っていた親子連れのハイカーに毛無山への正規ルートであることを確認して一安心・・・。それにしても、変な場所から飛び出てきたし、怪しかったのか、その親子連れのハイカーからお化けを見るような目で見られてしまった・・・。
一応、写真は撮っておく。
昼食にしようと思ったけど、夕方から天気が崩れるかもしれないという予報だったし、3連休なので、帰りの渋滞のことを考えるとユックリとはしていられない。手袋を取って、ストックを出して再出発。山頂滞在時間約2分・・・。
前回の時もそうだったけど、山頂から湯之奥方面に下るルートが不明瞭・・・。ルート自体はハッキリとしているけど、静岡県側に下るルートとダブっているので、分岐を間違えたら静岡県側に下ってしまう。とりあえず地蔵峠に向かう。
・・・ゴールでした。
とりあえず、無事に戻ってこれて良かった。このあと、通常ならば家まで2時間チョットのところ、中央道の渋滞にハマってしまい、5時間位上もかかってしまった・・・。普段ならば積極的に渋滞を避けて道を選ぶけど、この日は疲れきっていてそれどころじゃなく、気づいたら渋滞にドップリとはまっていた。ここ10年で最長最悪の渋滞でした・・・。